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  アジアの世界遺産 (日々追加中)

コブスタン国立保護区(アゼルバイジャン)

コブスタン国立保護区は、アゼルバイジャン・コブスタン(Qobustan)の西部にある1966年に設定された保護区。この年に、アゼルバイジャンは、この地の古代の彫刻物群や泥火山を守るために、国定史跡に設定したのである。首都バクー中心部からは40マイル南西にある。2007年にユネスコの世界遺産に登録された(登録名は「コブスタンの岩絵の文化的景観」)。コブスタン国立保護区は考古学的な記念碑類が多く残っており、岩絵は60万点を超えている。岩絵に描かれているのは、太古の人類や動物、戦い、宗教的な舞踏、闘牛、武装した漕ぎ手の乗る小舟、槍を携えた戦士、ラクダの隊商、太陽や星々など多彩で、平均して5000年から20000年遡ると考えられている。(カタール航空:ドーハ、グルジア)
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バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群(アフガニスタン)

アフガニスタンの首都カーブルの北西230kmの山岳地帯に位置するバーミヤン渓谷(バーミヤーン渓谷)に設定されたユネスコの世界遺産(文化遺産)。
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アル・アインの文化遺跡群(アラブ)

アラブ首長国連邦・アブダビ首長国でアブダビ市に次ぐ都市。アラインとも言う。 海岸に立地するアラブ首長国連邦の他の大都市とは異なり、内陸のオマーン国境に接するオアシスに作られた都市である。人口421,948人(2005年)。近郊にアルアイン国際空港がある。アラブ首長国連邦を代表するUAE大学がある。

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シバームの旧城壁都市(イエメン)

イエメン・ハドラマウト地方の都市。人口は約7,000人。かつて、シバームは、ハドラミ人のハドラマウト王国(英語版)(紀元前8世紀 - 3世紀)の首都として数世紀に渡り繁栄した。
シバームが有名なのは、ハドラマウト地方独特の高層住宅建築によっているところが大きく、1982年、ユネスコの世界遺産に登録された。シバームの住宅は全て、泥煉瓦によって構成されており、今日でも、500以上の5階から9階建ての高層建築が残っている。
建物間には連絡橋が設けられ、自由に往来ができるようになっている。このような高層住宅が建設されたのは、洪水と遊牧民の襲来から町を守るためであった。
シバームの歴史自体、2000年以上続いているが、現存の市街地に残る高層建築は、ほとんどが16世紀以降に建設されたものである。また、ここ数世紀の間に何度も何度も、破壊と再建を繰り返してきた。2008年10月にはハドラマウト地方を襲った豪雨が原因で洪水が起こり、これが原因で地盤が緩み本遺産にも一部の建物が倒壊するなどの被害が出た。

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ネゲヴ砂漠の香の道と都市群(イスラエル)

イスラエル南部のネゲヴ砂漠にあるユネスコ世界遺産登録物件の一つである。紀元前2世紀頃から紀元3世紀頃に、この地に住んでいたナバテア人たちは乳香や没薬といった香の交易で栄えていた。交易路はペトラ、ガザ、エイラートなどとネゲヴの都市群を結ぶもので、この世界遺産は、そうした交易を偲ばせる遺跡や道が織りなす文化的景観を登録したものである。
主な登録対象には、ハルザ、マムシト、アヴダト、シヴタの4つの都市遺跡と、6箇所の城塞・隊商宿のほか、キャラバンが通った交易路の一部も含まれている。さらに交易路に打ち立てられた22箇所のマイルストーン群も対象になっている。

ハルザ
マシムト
アブダト
シヴタ


ハトラ(イラク)

ハトラはイラク共和国北部のモースル州の南西約100km、サルサル・ワジ川のほとりの砂漠地帯に残る歴史的な都市遺跡。1985年に世界遺産に登録された。別名を「神の家」という。パルティア帝国の重要な要塞都市で、ローマ帝国の度重なる攻撃に曝された。

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チョガ・ザンビール(イラン・イスラム)

チョガ・ザンビールは、紀元前1250年ごろに、Untash-Napirishaの手によって、Inshushinak神への崇敬の意を込めて建設された。
チョガ・ザンビールのもともとの名前は、ウンターシュの街を意味するDur Untashである。しかしながら、この古代都市は、祭司を除いて、多くの人々が居住したとは考えられていない。
チョガ・ザンビールは、三層の連結した壁で保護されており、壁によって、メインエリアは、「街」と定義される。
三層のエリアに分けられるチョガ・ザンビールのうち最も内側の層は、主神に捧げるためのジッグラトが建設された。このエリアの建設は、Untash-Napirishaが貯蔵庫を併せ持った寺院とともに建設された。
その次の層は、主神に次ぐ地位に入ると考えられる神々のために11の寺院が建設された。
もともとの計画では、22の寺院が建設の予定だったと推測されているが、建設途上で、Untash-Napirishaが死亡したため、その後の建設が行われることはなかった。
最も外側の層は、王宮や葬祭を行うための場所、王室の5つの墓がある。

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タージ・マハル(インド)

インド北部アーグラにある、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟。インド・イスラーム文化の代表的建築である。
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バリ州の文化的景観(インドネシア)

「バリ州の文化的景観:トリ・ヒタ・カラナの哲学を表現したスバック・システム」インドネシアのバリ州に残る文化的景観を対象とするUNESCOの世界遺産リスト登録物件である。それらの景観は、バリ島の伝統的な水利組合であるスバックによって長い間維持されてきた。
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ボロブドゥール寺院遺跡群(インドネシア)

ボロブドゥール遺跡は、中部ジャワの中心都市ジョグジャカルタの北西約42kmに所在し、巨大なムラピ火山に囲まれた平原の中央に立地する。遺跡総面積はおよそ1.5万m2。高さはもともと42mあったが、現在は破損して33.5mになっている。
シャイレーンドラ朝の時代、大乗仏教を奉じていたシャイレーンドラ王家によって、ダルマトゥンガ王治下の780年頃から建造が開始され、792年頃に一応の完成をみたと考えられるが、サマラトゥンガ王(位812年〜832年)のときに増築されている。
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ウジュン・クロン国立公園(インドネシア)

ウジュン・クロン国立公園(ウジュン・クロンこくりつこうえん)はインドネシアにある国立公園の一つ。1991年、クラカタウ諸島自然保護区とともにユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。
ウジュン・クロン国立公園はインドネシア初の国立公園である。気候としては、低地熱帯雨林帯に属し、熱帯性植物が生い茂っている。 また、開発の進むジャワ島において貴重な生物の棲息地帯でもある。絶滅が危惧されているジャワサイやバンテン(野生牛)、カニクイザル、インドクジャクなどの生息地である。
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コモド国立公園(インドネシア)

コモド国立公園は、小スンダ列島に位置し主要な3島のコモド島、リンチャ島、パダール島を含む、173.5km2の面積を有する公園である。世界最大のトカゲであるコモドオオトカゲが棲息していることで有名である。コモドオオトカゲは肉食性であり、普段は大人しいとされるが時に人間の様な大型哺乳動物を襲うこともある。西洋人が1911年に発見した時は、恐竜の生き残りと思われた。また、イルカやウミガメなどの他の希少生物も棲息している。
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プランバナン寺院群(インドネシア)

寺院群のうち中心的存在であるプラバナン寺院は古マタラム王国のバリトゥン王(在位898年〜910年)による建立と言われる。古マタラムの王宮もこのあたりにあったと考えられているが、伝染病が流行り10世紀ごろ遷都した。のちの1549年の地震で遺跡のほとんどが崩壊した。しばらく忘れ去られていたが、1937年から遺産の修復作業が行われている。プランバナン寺院群はヒンドゥー教の遺跡としてはインドネシア最大級で、仏教遺跡のボロブドゥール寺院遺跡群と共にジャワの建築の最高傑作の一つとされる。
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サンギラン初期人類遺跡(インドネシア)

ホモ・エレクトス・エレクトス(ジャワ原人)の骨や跡などが発掘されており、考古学的に非常に重要な場所である。
サンギランは、ジャワ島の東側中央辺りにある町ソロの近くにある。1936年の発掘調査で、ジャワ原人の頭蓋骨、歯、大腿骨の化石が発見された。
またサンギランの発掘場では、少なくとも150万年前ごろから、比較的新しい1万年前ごろの人間の形跡がある。メガントロプス、ジャワ原人、ホモ・エレクトゥスなどの初期人類の化石が多数見つかっており、その数は世界で発掘された化石の半数に相当する。
サンギランで発掘されたものの一部は、サンギラン博物館で公開されている。
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ロレンツ国立公園(インドネシア)

ロレンツ国立公園はインドネシアのパプア州(ニューギニア島西部)に位置する。未開の地と言われどのような種が住んでいるか未だにすべて確認されていない。近年公園近くの鉱物資源が注目されたため開発が始まったが、警告の意味を込めて世界遺産登録が行われ、この地域の自然が守られることになった。しかし、今でも公園外で鉱物の採掘が行われている。
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イチャン・カラ(ウズベキスタン共和国)

中央アジアと西アジアの各都市に存在する内城のうち、無傷の状態で保たれているのはヒヴァのイチャン・カラのみであり、封建的・イスラーム的都市国家を知る上で一級の資料となっている。
イチャン・カラは東西約450m、南北約650mに広がり、やや東に傾いた長方形をしている。城壁の高さは7-8m、基部の厚さは5-6m、全長2.2km、面積は26ヘクタールに及び、周囲を外壁のデシャン・カラに守られている。かつてヒヴァには城壁に死者を埋葬する旧習があり、埋葬された人骨の一部は城壁の表面に露出している。
イチャン・カラには、20のモスク(寺院)と20のマドラサ(神学校)と6基のミナレットなど[3]、50以上の歴史的建造物と250以上の古い住居が残る。
ヒヴァの町の始まりとなったという伝承が残されているヘイワクの泉は、パフラヴァン・マフムード廟の中庭に存在する。
1740年にイランのナーディル・シャーの攻撃によってイチャン・カラの建造物の多くが破壊されたが、これらの建築物はおよそ18世紀から19世紀にかけて再建された。
1969年にイチャン・カラ全体が、博物館都市に指定される。1983年に大規模な旧市街地の改修工事が実施され、歴史記念物地区の建物は保存・改修され、老朽化が進んだ一部の建物が取り壊された。周辺の居住区では古い家屋の撤去と建て替えが行われ、街区の様相は大きく変化した。
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ブハラ(ウズベキスタン共和国)

ブハラ州の州都。ザラフシャン川下流域に古代より栄えたオアシス都市で、1993年には、旧市街地がユネスコの世界遺産に登録されている。人口は約23万7千人(1995年)。
古代からサマルカンドと並ぶいわゆるソグディアナの中心都市であり、イスラーム時代以降、特にサーマーン朝の首都となってからもイラン・中央アジアにおける最も重要な都市のひとつであった。また近代でも20世紀の初頭までブハラ・アミール国(ブハラ・ハン国)の首都が置かれ、西トルキスタンにおける政治・文化の中心都市であった。特にサーマーン朝にはじまる近世ペルシア語文学の発信源としてこの都市が残した足跡は大きい。また、シャイバーニー朝やジャーン朝においてはブハラの宮廷でペルシア語に加え、チャガタイ語文芸運動を隆盛させその中心都市としても発展した。このような歴史背景から、現在は住民の大多数が民族籍上ウズベク人とされているものの、住民の間ではペルシア語系のタジク語が広く話され、タジク人としてのアイデンティティを有する者も数多く存在する複雑な民族構成をもつ。
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エルサレムの旧市街とその城壁群(エルサレム)

周辺情勢の不安定さから保護が必要な物件である一方、エルサレムの帰属問題などのデリケートな問題をはらんでいることから、変則的な申請が認められた珍しい物件である。1981年に世界遺産に登録され、翌年に危機遺産リストに加えられた。最も長い期間危機遺産に登録され続けている物件である。
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乳香の土地(オマーン)

古来、奢侈品の一つであった乳香の交易で栄えたアラビア半島南部に残る遺跡のうち、オマーンのドファール特別行政区内にあるオアシス都市遺跡、港湾遺跡、交易路跡や乳香の群生地が登録対象となっている。
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タムガリの考古的景観にある岩絵群(カザフスタン)

カザフスタンのアルマトイ州にある峡谷である。最大都市アルマトイからは北西に約180 km のところにある。一帯には紀元前14世紀以降に描かれた5000点にのぼる岩絵(線刻画)群が残されており、周辺に残る住居跡や祭祀場跡と推測されている遺跡群とともに、中央アジアにおける傑出した文化的景観を形成している。
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アル・ズバラ(カタール)

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アンコール遺跡(カンボジア)

カンボジアの北西部、トンレサップ湖北岸のシェムリアップの北側にあったクメール王朝時代の遺跡群である。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
アンコール遺跡群は現在のカンボジア王国の淵源となったクメール王朝の首都の跡である。
この地には、9世紀頃から数々の王建設が開始された。この遺跡に特に大きく関わったとされるのはスーリヤヴァルマン2世(1113-1145年)とジャヤーヴァルマン7世(1181-1218年)といわれる。スーリヤヴァルマン2世は特にアンコール・ワットの建設を行い、その死後30年ほど後に王に就いたとされるジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムの大部分を築いたとされる。
しかし、ジャヤーヴァルマン7世が崩御した後のアンコールはアユタヤ朝の進入を度々受けその存在を侵され始め、その後ポニャー・ヤット王にはついにアンコールを放棄するに至った。
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プレアヴィヒア寺院 (カンボジア)

カンボジアとタイ国境にあるダンレク山地内のカンボジア王国領内(プレアヴィヒア州)に位置するヒンドゥー寺院。9世紀末にクメール人によって建設され、11世紀に増築されたとされる。タイ側の呼称はプラーサート・プラウィハーン。2008年7月には世界遺産に登録された。
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聖なる山スライマン=トー(キルギス)

キルギス第二の都市オシ近郊にある山である。山の名前は「スライマーンの山」の意味で、預言者のスライマーン(ソロモン)が逗留したとされる伝説に従って18世紀に名づけられたものである。 崇拝の対象となってきた文化的景観。
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アル=ヒジュルの考古遺跡(マダイン・サーレハ)(サウジアラビア)

マダイン・サーレハ(アラビア語:マダーイン・サーレハ)は、現サウジアラビア領内に存在していた古代都市である。マダイン・サーレハは「サーリフ(Saleh)の町」を意味し、アル=ヒジュル(Al-Hijr, 「岩だらけの場所」)とも呼ばれた。ヒジャーズ北部に位置し、赤い崖のあるワジの集落からは約 22 km 離れている。古代には、この都市にはサムード人(Thamudis)やナバテア人が住んでおり、ヘグラ(Hegra)として知られた。
考古遺跡群はナバテア人たちが暮らしていた紀元前1世紀から紀元1世紀頃のものが中心で、とくに装飾の施された墓石群が特徴的である。このほか、それ以前に遡る碑文も発見されている。マダイン・サーレハはナバテア人の考古遺跡としては、ヨルダンのペトラに次ぐものである。
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古代都市ダマスカス(シリア・アラブ)

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アヌラーダプラ(スリランカ)

年代記の『マハーワンサ』(大史。6世紀初頭)や『チューラワンサ』(小史)によれば、紀元前5世紀から紀元11世紀に至る長い間、北部を根拠地としたシンハラ人を主とする王朝の王都として繁栄した。別の所に移されたこともあったが、短期間で元に戻っている。
スリー・マハー菩提樹と呼ばれている菩提樹があり、仏教徒の崇拝対象になっている。『マハーワンサ』(第19章)によれば、インドのブッダガヤ(ブッダ・ガヤー)で正覚(悟り)を得たとされるゴータマ・シッダールタが座って瞑想していた金剛座の背後に繁る菩提樹から、アショーカ王の妹のサンガミッターが小枝を瓶に入れて当地にもたらしたとされる。スリーは敬称(聖なる)で、マハーは偉大な(または真の)、ボーディ(菩提)は目覚めたる者の意味である。仏教伝来の王都であったため、たくさんの遺跡が残っている。新しい町と古代の町に分けられて、遺跡群は保護されている。巨大なストゥーパ(仏塔)が散在し、半球状の構造をなし、石または煉瓦で作られている。
最大のストゥーパは、紀元前1世紀に作られたアバヤギリ・ダーガバで、現在でも74メートルの高さがあり、建築当時はその周囲に半球状の屋根を含む構造があり高さは100メートルあったと言われる。周囲には5000人の僧が生活した僧院があった。主な遺跡には、ベッサギリ寺院、イスルムニヤ寺院、ダクヌ仏塔、ミリサワティ仏塔、ルワンワリサーヤ仏塔、ジェーターワナ仏塔、トゥーパーラーマ仏塔、ランカーラーマ仏塔などがある。
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スコータイの歴史上の町と関連の歴史上の町(タイ)

ムアンスコータイ郡はタイ・北部にある郡(アンプー)。スコータイ県の県庁所在地(ムアン)でもある。大きく旧市街と新市街に分かれており、新市街から西に12kmほどの地点に旧市街があり、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたスコータイ歴史公園がある。

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アユタヤ歴史公園(タイ)

タイ、アユタヤにあるアユタヤ王朝の遺跡群
アユタヤー遺跡群は、チャオプラヤー川とその支流であるパーサック川、ロップリー川に囲まれた中州に集中している。これは、敵からの防御を考えて中心部の回りに運河を掘ったことによるものである。ワット・プラシーサンペット、ワット・ローカヤスターラームなどの寺院跡、王宮跡が残る。
この遺跡を作ったのは1351年 - 1767年に存在したアユタヤ王朝である。この王朝はナーラーイ王時代には現在のラオス、カンボジア、ミャンマーの一部を領有するほどの勢力を持っていた。中心都市であるアユタヤは、流れの穏やかなチャオプラヤー川に位置し、貿易に持ってこいの地形であった。この貿易に適した地で、王はその独占貿易で莫大な利益を収め、同時に上座部仏教を信仰していた王は、この莫大な利益を元に数々の寺院(ワット)を作り出した。しかし、1767年にビルマ(ミャンマー)の攻撃を受けてアユタヤ王朝は消滅した。同時にアユタヤ市内の建造物や石像は徹底的に破壊され、ほとんどの寺院は廃寺となり、王宮も台座を残すのみとなった。世界的にみてアユタヤの建造物の多くが比較的新しい建造物であるにもかかわらず、そのほとんどが煉瓦のみになっているのは、このためである。
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石窟庵と仏国寺(大韓民国)

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タジキスタン国立公園(タジキスタン)

パミール国立公園 - Pamir National Park)はタジキスタンのゴルノ・バダフシャン自治州内にある国立公園である。タジキスタン国立公園は2013年6月21日、UNESCOの自然遺産に登録された。
タジキスタン国立公園は1992年7月20日にタジキスタン政府により国立公園に指定された。この公園はもともと、タジク・ソビエト社会主義共和国時代の1991年にアンヴァール・ブズルコフ (Anvar Buzurukov) 監修のもと、国内初の自然保護区であるシルケント自然歴史公園(フランス語版)に続く国内2番目の自然保護区として設立された。
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紅河哈尼棚田群の文化的景観(中国)

紅河南岸の哀牢山中にあり、元陽県を中心に紅河県・緑春県・金平県など複数の県に及ぶ。総面積約54000ヘクタールで、最大標高1800メートル、最大勾配75度の斜面にまで築かれている。この地に移住してきたハニ族の人々が8世紀頃から営々とつくり広げてきた。国連食糧農業機関(FAO)により世界農業遺産に認定した世界最大の棚田群である。
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四川省のジャイアントパンダ保護区(中国)

絶滅危惧種であるジャイアントパンダの30%以上がこの地に生息しており、最も繁殖が盛んである。
面積は9245km2に及び、??山脈と夾金山脈を挟んだ7つの自然保護区および9つの自然公園からなっている。ジャイアントパンダに加えて、レッサーパンダ、ユキヒョウおよびウンピョウのような他の絶滅危惧種の重要な保護地域でもある。 保護区の森林には植物学的に非常に豊かな生態系が保持されており、5,000 - 6,000種の植物相の故地とされている。また、第三紀の熱帯雨林に相似していることが注目されている。
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高句麗古墳群(朝鮮)

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メルブ遺跡(トルクメニスタン)

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サガルマータ国立公園(ネパール)

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モヘンジョダロ(パキスタン・イスラエル)

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降誕教会(パレスチナ)

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バーレーン要塞(バーレーン)

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パハルプールの仏教寺院遺跡群(バングラデシュ)

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トゥバタハ岩礁海中公園(フィリピン)

フィリピン諸島の南西にあるパラワン島の東の岩礁と珊瑚礁を保護する目的で設置された海中公園。1993年、フィリピン初のユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録され、2009年に登録範囲を拡大し、トゥバタハ岩礁自然公園となった。
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フエの建造物群 (ベトナム)

ベトナム中部の都市で、トゥアティエン=フエ省の省都である。19世紀から20世紀にかけてベトナムに存在していた阮朝の首都に定められていた。
フエはフランス語風にユエと呼ばれることもある。フエの漢字名の「順化(トゥアン・ホア)」は、14世紀に陳朝が設置した順州・化州に由来する。二つの行政区画のうち、かつてフエの町が属していた「化州」の化の漢字音(hoa)が転訛して、町はフエと呼ばれるようになったと考えられている。フランス植民地時代にトゥアン・ホアを訪れた外国人は、町を「スェウナ」「スィネア」「シネア」と呼んでいた。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に「フエの建造物群」、無形文化遺産に「フエの雅楽」が登録されている。
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ハロン湾(ベトナム)

ベトナム北部、トンキン湾北西部にある湾。漢字表記は下竜湾。クアンニン省のハロン市の南に位置し、カットバ島のほか大小3,000もの奇岩、島々が存在する。伝承では、中国がベトナムに侵攻してきた時、竜の親子が現れ敵を破り、口から吐き出した宝石が湾内の島々になったと伝えられている。 カットバ島以外の島は現在は無人だが、約7,000年前の新石器時代にはわずかに人が住んでいた。また、数世紀前までは海賊の隠れ家として利用され、また モンゴル軍の侵攻の際には軍事的に利用された。
彫刻作品のような島々の景観は、太陽の位置によって輝きが変化し、雨や霧によってまた趣のある雰囲気を醸し出す。 地質学的には北は桂林から、南はニンビンまでの広大な石灰岩台地の一角である。石灰岩台地が沈降し、侵食作用が進んで、現在の姿となった。 1994年にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録。
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キナバル自然公園(マレーシア)

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ウヴス・ヌール(モンゴル)

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アムラ城(ヨルダン)

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チャンパサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群(ラオス)

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アンジャル(レバノン)

レバノンの東部、ベカー高原にあるレバノン唯一の城塞都市遺跡。
ウマイヤ朝のワリード1世の命により、8世紀に建設されたといわれている。ダマスカスとベイルートの中継地点に位置して古くから繁栄。イスラムの権力者達の保養用の宮殿、モスク、公共浴場などの跡が残る。

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